ぽろぽろ

思ったことをぽろぽろと

誕生日を愛おしいと思える幸せ

藤井くん20歳のお誕生日おめでとうございました!!

19歳の藤井くんのとびきりキュートな笑顔や仕草を見るたび「ほんとにハタチになるの!?」と驚く一方で、大人びていく顔つき・どんどん様になる憂いを帯びた表情を見ては「ほんとにハタチになるんだ…」と納得する、少しずつ近づいてくる9月18日を前に、いろんな気持ちで胸がいっぱいになっていく、そんな1年でした。どきどき・るんるん・そわそわ・めそめそ・わくわく…9月に入ると気持ちがあふれる勢いはとてつもなく増して、胸に収まりきらなくなった気持ちを入れておけるケースがあれば良いのに…とか考えていました。

日付が変わる瞬間に全然違う人になる訳でもないのに、19歳から20歳になることはとても特別な気がします。もちろん「大人」になるのだから特別です。できることもするべきことも増えます。でもわたしはそれよりも、きらきら眩しくてたまらない10代の日々に別れを告げなければいけない、ということの方に意識を向けてしまいます。10代のきらめきと20代のきらめきはきっと違うんだろうと思うからです。どちらが良いとかではなく、どちらも特別で。-藤井くんも10代の日々を走り抜けてゴールした、今までのきらめきとはさよならなんだ、でもまた新しいスタートを切る、違うきらめきに出会えるんだ- そんな風に考えて胸いっぱいになっていました。

いろいろパンクしそうになって迎えた9月18日。日付が変わった瞬間からは、いろんな気持ちがろ過されて「ただただ嬉しい」が残りました。大好きな人が20歳になる瞬間を噛みしめて生きていることが嬉しくてたまらない、という感じで。思い返してみると、朝目覚めてから真夏の少年が始まるちょっと前までずっと「藤井くんの誕生日だ〜」ということしか考えていなかったような気がします(それもどうなんだという感じですが)。お気に入りの深いエメラルドグリーンのポリッシュを塗って、届いたばかりのアクスタと一緒にカフェに行って、お祝いにちょっと良いパフェを食べるんだ、と文字通りウキウキして。タイムラインにあふれる藤井くんに向けられた素敵なお祝いのことばやイラストに、心があたたかくなって。小学生だったら「今日は藤井くんの誕生日でした。楽しかったです。」という日記を書きそうな(?)そんな日でした。

 

わたしは藤井くんの10代をほんの少ししか知りません。でもきらきらした藤井くんの光を浴びながら「眩しいなぁ、愛おしいなぁ」って過ごした、そのほんの少しの時間はかけがえないもので、わたしの宝物です。

スタートを切ったばかりの藤井くんの20代、彼はどんな風にきらきら輝くのでしょうか。藤井くんのきらめきを構成するいろんな要素(可愛い・クール・色っぽい・儚いなどなど)の割合は多かれ少なかれ変わっていくと思います。例えば可愛いなぁくんよりもクールな直樹さんに会う機会が増えるのかもしれない、色気が止まらなくなるのかもしれない。でも「アイドル」に真摯に向き合うところ・人の気持ちにそっと寄り添うところ・大きな目を細めてくしゃっと笑うところ…この先どんなに魅せ方が変わっても、こういうところはきっと変わらないんだろうと思います。勝手な言い方になってしまうけど「アイドル・藤井直樹」はこういうところを芯として成り立っていると思っていて、そこにわたしは強く惹かれています。10代の藤井くんとさよならするのは確かに寂しいけど、20代の藤井くんのきらめきも、この変わらないであろう芯をもとに生まれると思うと、楽しみで仕方なくなります。きっとわたしは今までと同じように「眩しいなぁ、愛おしいなぁ」って藤井くんを見るんでしょう。

 

 

アイドルの、言ってしまえば赤の他人の誕生日に対して、自分がこんなにいろんな思いを巡らせているなんて不思議だなぁと、ふと思いました。というのも今まで応援してきた人の誕生日は、ただ「年齢」っていうその人に付随する数字が1上がるだけの日だとしか考えられないタイプだったからです(もちろんおめでとう!生まれてきてくれてありがとう!とは思うんですが)。他人の誕生日に感情移入するのって意外と難しい気がします。少なくともわたしにとっては難しいです。

だけど藤井くんの誕生日は自分にとってすごく大切で特別な日になっているんです。これ、年下の人を応援するのは藤井くんが初めてだから、というのがひとつの理由なのかなぁと思いました。「自分が○歳の頃はこんなことしてたな」「こんな楽しさ・辛さのある年頃だったな」って自然と重ねてしまっているんでしょうか。そのせいか1年ごとに1ずつ増えるだけの数字も、途端に色付き始めて愛おしくなってくるんです。その一方で年上の人が歳を重ねることにそこまで感情移入できないのは、自分がまだ見ぬ未知の世界だからなんでしょうね。「好き」という気持ちに年齢は関係ないけれど、その好きな人の誕生日をわたしがどう捉えるかは年齢も関係しているのかな、という話です。

 

 

そういう訳で、わたしが家族でも友だちでもない藤井くんの誕生日をこんなに愛おしく感じられるのは、当たり前じゃなくてとても幸せなことだと思います。大切にしたいものが増えていくのは純粋に嬉しいし、自分にとってはなんでもなかった日が特別な日になるって素敵です。9月18日を迎えるまでにうまれた感情のひとつひとつは、藤井くんと出会わなければうまれませんでした。こんな感情もあるんだ!と気付かせてくれた藤井くんには、感謝でいっぱいです。

改めて、20歳のお誕生日おめでとう。藤井くんの夢が少しずつ叶いますように。めぐりあう人たちが優しい人たちでありますように。何よりも元気でいられますように。

 

おわり

 

美 少年のSTAYに思うこと

今年の夏、美 少年がSTAYを歌ってくれました。何度も聴いたら慣れるだろうと1公演目が終わったときは思っていたけど、全然慣れなくて結局8公演目も1公演目と変わらず感傷的になってしまいました。(そしてじんわりしたところへ飛び込んでくるみなみなサマーにも全然慣れなかったけど、涙じゃなく笑顔でびーパラを締めようとしてくれたんだろうなと思います。ありがとう。)この曲はとても印象に残っていて、いろんな思いがぐるぐると巡ったので記しておきます。

 


※かなりフィルターかかった見方をしていると思うので、ちょっと違うなと思ったら、そっと閉じてください。

 

 

まず、わたしはSTAYのような優しくてあったかい、でも胸の奥がきゅっと苦しくなるような曲が、美 少年によく似合うと思っています。なのでそんな曲をコンサートの締めに歌ってくれたことが、とても嬉しかったです。

個人的なイメージとして、びーからは底なしの明るさよりも、心の中にある弱さや暗さ、不安を否定せずに「そういう気持ちもあっていいんだよ」って認めて寄り添ってくれるような優しさを感じています。色で言えば、さくら色とかクリーム色。あと1年半くらい前までよく着てた、燕尾服みたいな衣装のレモンイエロー。そういう白い絵の具にほんのちょっとだけ色を足して混ぜてできるような、淡い色が似合うなぁって。そんなイメージを持っています。まさに、ポケットに潜む孤独もゆっくりと溶かしてくれそうだし、過去も弱いとこもすべて愛しく受け入れてくれそうな人たちだと思います。あとはお互いを否定せず認め合っている場面もよく見るし、みんなが漂わせている空気の中に優しさと愛が詰まってると常々感じているので、愛を撃ち合ってる人たちだな〜とも思います。挙げればきりがないけれど、とにかくSTAYの歌詞はびーにぴったりだと思いました。


そしてわたしは藤井くんがこういう優しい曲を歌うときにいつも見せてくれる、何もかも包み込むようなふんわりとした笑顔が大好きです。今回もその大好きな笑顔が見られたのだけど、

どうか道の途中で 手を離そうとしないでよ

ちゃんと繋いでてよ

を、どこか寂しそうな・自信なさげな表情をプラスして、ちょっぴりすねたような声で歌っていたのが忘れられません。そもそもここを藤井くんが歌ったこと。曲全体の歌詞に目を通してみると、このパートだけすごく不安そうな歌詞なんですよね。うまく説明できないけど、びーの中でこのパートがいちばん似合うのは藤井くんだと思いました。なんというか藤井くんが表現する「マイナスの方向に揺らぐ感情」には、すごく説得力があるような気がしています。共感しやすいというか。だからそんな藤井くんにこのパートを歌われると、手を離そうとする日がほんとに来てしまうような気がして怖くなったし、そんな日は来ないでほしいと強く強く思いました。


ほかの5人が受け持ったソロパートの歌詞も、それぞれにぴったりだったと思います。

この先どうしようもなくすれ違ったり 言い争いがあったりもしても

を、争いごとは好きじゃなくて、この先もみんなが仲良くいられることをいちばん望んでいそうな龍我くんが。

大事なのは続けること

を、学業も全うしながら「スーパーキラキラアイドルになる」ってずっと言い続けてくれる那須くんが。

楽しいだけでいれない時も

を、できないことはなんでも人一倍努力して乗り越えてきた、その過程で悔しい思いもしたかもしれない金指くんが。

あなたと共に歩こう

を、いつもこちらのことを想ってくれて、まっすぐに愛を伝えることを決して恐れない浮所くんが。そして

たったの50年 一緒に

を、50年が「たったの50年」だと思わせるような説得力を持っている、物事の捉え方がとても大人びている大昇くんが。

たまたまこの歌割りになったのかもしれないけど、そこに意味があるように感じてしまいました。

 

 

「ずっと」とか「永遠」とか言うのは苦手だったし、いまも得意ではありません。いまは藤井くんが・美 少年が大好きで大切で、ずっとずっとこのままでいたいと思ってるけど、きっとそうはいかないんですよね。飽きっぽい性格だから、今まで好きになったアイドルはたくさんいるけど、それぞれに対して「もういいかな」って感じる瞬間が必ずありました。逆に「まだ見ていたかった」と思いながら、好きになったアイドルがアイドルとしての人生を終わりにする瞬間を見届けることもたくさんありました。こちらから終わりにすること、あちらから終わりを告げられること、どちらもありえます。どちらもありえるから、怖いから、「ずっと好きでいるよ、応援してるよ」と胸を張って言うことはわたしにとってとても難しいです。

 

罪を捨て

っていう歌詞があるじゃないですか。美 少年が歌うときの、この「罪」ってなんなんだろうとずっと考えていました。いろいろ考えて出てきた自分なりの答えは、アイドルとファンがお互いに「永遠」を求めたり誓ったりすることの罪、です。残酷だけど「永遠」なんて言葉は、とても不確かで頼りない言葉だと思います。「永遠に〜しよう」と口にすることの罪深さは自覚している、でも自覚したその上で「永遠」を夢見ようよという意味なのかな、と。

だから「永遠なんて言わないからさ」と言いつつも、 ずっと共に・5、60年・鼓動止むそのときまで のように「永遠」となんら変わらないフレーズをたくさん言ってくれているんじゃないかなと思っています。

 


アイドルになって数年の彼らが口にする「5、60年」。これからを保証されているとは言えないジュニアの彼らが口にする「5、60年」。「たったの」「それだけ」と言うけれど、ものすごく長くて気の遠くなる年月だと思ってしまいます。罪深いとも思ってしまいます。だって今から何にだってなれちゃうから。若い彼らの未来はきっと希望でいっぱいです。美 少年でなくても、ジャニーズでなくても、アイドルでなくても、生きる道はたくさんあります。それでも、この夏に6人が美 少年としてSTAYを歌ったことはとても眩しくて、揺るぎない事実です。だったら、わたしも恐れずに、大好きな藤井くんと美 少年に対して「ずっと」を口にしていこうじゃないか。たとえその行為が無責任だとしても、罪深いとしても。大袈裟だなぁとは自分でも思うけれど、美 少年のSTAYを聴いてそう思った夏でした。

 

 

おわり